中井戸はタクシーを降りると、北口方向にある自宅アパート方面に向けて歩き出した。旧中杉通りにある、酒の置いてあるコンビニエンスストアでビールを買い、自宅アパートに戻った。アパートは、築30年は過ぎていようかというぼろ屋で、駅からは徒歩で15分はかかる。安いだけが取りえの1DKだ。どうせ一人暮らしで、帰ってくるのは夜遅く。
週のうち3回くらいは証券会社の情報担当者や事業会社、投資顧問関係者などと情報交換ついでの飲み会が入っていたから、まっすぐに自宅に向かうのはせいぜい週に1〜2回だ。土曜、日曜日も書きかけの原稿を進めたり、会社主催の株式講演会の講師に駆り出されたりして、大半は外出している。
そんな理由で日当たりにはとん着しなかったが、日当たりが悪い部屋というのはじめじめしたもので、しかも手入れなどしていないから帰宅は憂うつだった。部屋にはマーケット関係の書籍などがほこりをかぶって散乱している。
アパートを見上げて、ひとつため息をついた。意志を強くもってようやく玄関を明け、真っ暗の部屋に明かりとストーブをつけると、取りあえず缶ビールのプルトップを引き、喉を潤した。「この部屋じゃ、会社の人間は呼べないな」。紺野は別れ際に、一緒に車を降りてもいいかというような視線をよこしたようだが、それを振り切ったのには中井戸なりの理由があったのである。
中井戸は私立大学の法学部を1985年に卒業すると同時に、銀行系の証券会社に入社した。兜町支店で個人営業に従事したが、バブル相場のはしりでもあり、株式手数料収入はそれなりに上げていた。しかし、87年のブラックマンデー(米国株価暴落に端を発した世界の株価崩落)に遭遇。証券業の先行きに疑問を感じて退社し、もともと調査畑志望だったこともあり、88年1月に証券金融新聞社に中途入社した。以降は慣れない原稿執筆と格闘しながら、企業回りの企業部、債券・為替担当の金融部などを取材記者として歴任した。
証券会社時の同僚と87年に結婚したが、証券金融新聞に移ってからは忙しさもあってすれ違いが多くなり、結婚生活は5年間でピリオドを打った。離婚の際のごたごたで預金の取り崩しを迫られたことも、安いアパートに決めた大きな要因となっているのだった。
明日は土曜日で本来は休みだが、調べものがあるために午後には出社しなければならない。時間は午前2時を回っていたが、酔いが醒めつつあり、アルコールを再注入しないと眠れそうになかった。ビールを飲み干すと、テーブルに置かれたウイスキーを洗っていない使いかけのグラスに注ぎ込んで、ストレートであおった。経済新聞の夕刊をつまみ代わりに手に取り、ぼんやりと眺めた。3杯目のグラスを傾け、意識が混濁していく中でも、株式市場を取り巻く状況や自分の人生の先行きへの不安感が頭をよぎるのだった。
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