ビジネスホテルに部屋を確保し、さらに飲むという他のメンバーから別れ、中井戸はタクシーを拾った。自宅が同じ方向の紺野という若い記者が小走りに「私も乗せてってください」と車に近寄ってきた。もう終電車は出た後で、帰る方法はタクシーしかなかったし、これ以上記者連中と杯を重ねても、話題が明るい方に向かうとは考えられなかった。
紺野が乗車するのを確認して、運転手に「JRの阿佐ヶ谷駅まで、お願いします」と自宅最寄の駅名を告げ、煙草に火をつけた。今日3箱目となる煙草の煙を大きく吸い込み、外の風景に目をやった。
そこで紺野が、「中井戸さんがさっきいってた、仕手株というのは何ですか」と聞いてきた。入社3年目の紺野は、株式市場で仕手株が動くのをみたことがないという。中井戸は「うん。まぁ、株式市場にたまに咲く、一種のあだ花のようなものだな」とぼやかし、「そんなことより、君は事業会社回りを進めるべきだ」などとよせばいいのに、中年のおやじよろしく、説教じみたことをいった。自らが上司から説教されることが嫌いなたちだけに、中井戸は自分の発言にその場で落ち込み、そして、煙草を灰皿に押し付けて消すと、思い直して仕手についての輪郭を語り始めた。
兜町では特定の団体・グループや個人が自らの利益を得るために動かす株式のことを仕手株と総称する。そもそも、仕手という呼び名は日本の伝統芸能である「能楽」・「狂言」からきているといわれる。能の舞台を演じるのは「シテ」と「ワキ」で、これはどの舞台でも同じ。シテは舞台の主役を指し、ワキは文字通り脇役を意味する。能・狂言の主役を張る「シテ」が転じて、「株式市場という舞台で主役を演じる」のが仕手(シテ)になったというわけだ。仕手の漢字も能の世界で当てられた。
仕手が操る「仕手株」の歴史は古く、戦後の1949年(昭和24年)に東京証券取引所(東証)の売買が再開された時点では既に登場している。起源は戦前にさかのぼるわけだが、株式用語の多くがそうであるように、米など商品相場の中で生まれたようだ。昭和初期に小豆相場で大きく儲けた投機家がいて、この人物のことを誰が命名するではなく「仕手」と呼んだとの言い伝えが、兜町には残っている。
材料株とは何か材料が出たときに、その将来性を高く買う投資家が出ると、思わぬ相場に発展するような銘柄をいう。例えば、ある製薬メーカーにガンで有望な薬が出来そうだ、などとのニュースが報道されれば、将来多額の利益が計上されるに違いないとの見方が広がると、時に数倍の株価に暴騰するケースなどがそれだ。
仕手株にしろ、材料株にしろ、全般相場が軟調な時に活躍しやすい。全般相場が上潮の場合には、何もリスクを冒してまで値動きの荒っぽい銘柄を買う理由が少ない。逆にさえない相場が続くと投資家は、値動きのない主力銘柄を嫌って仕手株に乗る。大物が介入した仕手株や、大きな材料がある銘柄が長い間人気を集めると、利益を上げた投資家が次の銘柄を物色することで裾野が広がり、場合によっては全般相場の立ち直りの契機を作ったりする。株式市場とはそういう側面もある。中井戸が「せめて仕手株でも」と口走ったのには仕手・材料株に一縷の望みをかけているマーケット記者ならではの、やや屈折した心理を表していたのである。
「お客さん、阿佐ヶ谷の駅に着きましたよ」という運転手の声で中井戸は目を覚ました。紺野相手に仕手株のことを話しているうちに、いつの間にか寝てしまったらしい。紺野も運転手の声で起きたようだ。西荻窪に住むという紺野の家までに相当する運賃を紺野の手に握らせ、「次は西荻にやってください」と運転手に声をかけ、紺野にも「じゃあ……」と軽く挨拶をして、車を降りた。
もう一本、煙草に火をつけて自宅のアパートに向かって歩く。そこで「そういえば、90年のバブル相場崩壊後は、まともな仕手株は登場していないんだよな」とつぶやいた。株価の崩落もそうだが、実体経済の悪化で仕手筋の資金源と目されていた不動産やノンバンクなど金融業界が経営危機に陥り、株式どころではなくなっていたことが背景にある。
また、当局による証券取引等監視委員会の設置で、投機筋が動きにくくなったことも追い討ちをかけているのだった。特定の銘柄の関与が著しくなると、5%ルール(発行株式の5%以上を保有した場合届出が必要)などで引っかかる。そうした状況下で、本格的な仕手の登場は困難そうだった。
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