関西地方はそんなに非道く雨は降りませんでしたが、皆々様におかれましては、3連休を如何過ごされましたでしょうか?
僕はと申しますと、毎度のワンパターンながら、土日はせっせと競馬場に通いつめ、土曜日の若葉ステークスはアンカツの単勝で少し儲け、勢いに乗じて翌日曜日の阪神大賞典、懲りずに再び、アンカツのジャミールから3連単で勝負をかけましたところ、惜しくもトウカイトリックにゴール前差され、エライ敗北を喫してしまいました。
まー中山のスプリングSはワイド馬券で少し取り戻したものの、トータルして久方ぶりに5千円近く負けてしまい、やっぱし競馬は難しいなーと改めて思い知らされた次第です。もっとも全然、後悔しておりませんが。
さて、昨日の朝、目を覚ますと窓の外はいいお天気。カネは消滅したものの、こんな日に蟄居してるのも勿体ないわなあーと思い、家人とともに、神戸は須磨寺にお参りに行くことにしました。
まー、この世に生を享けてから40年近く神戸市民ではあったものの、呆れたことに一度もこの名刹、真言宗須磨寺派の大本山を訪れたことはありません。思い立ったが吉日、春の陽気に誘われるようにふらふらと出かけたのでございます。
コドモの頃から妙にジジ臭く、神社仏閣が大好きなこの私でございます。要するに、サムシンググレートあるいはメサイアにすがりつきたい。八方ふさがりの現世から少しでも逃げ出せないかと神社仏閣はおろか、キリスト教会もイスラミックのモスクも、ヒンドゥー寺院も目にしたら、ついふらふらと入りたくなってくるのでございます。
まして須磨寺は、遠く平家物語にも詠われた古今の名刹、源平の古戦場のど真ん中。まーうっかり、成仏しきっていない平家落人の怨霊などをダウンロードしてしまったらエライことですが、常日頃の悪行を清める意味もあり、山門をくぐりますと流石にそこは真言宗十八本山霊場、新西国第二十四番霊場、摂津西国第七番霊場、(中略)神戸十三仏霊場。院内の空気はまことに神韻渺々、ミホトケの有難いご加護が僕の如きドブネズミ中年の穢れを、吹払ってくれるように感じられました。
さて、この須磨寺の一隅に、騎馬武者の彫刻2体がございます。それぞれ、「熊谷直実(くまがやなおざね)」「平敦盛(たいらのあつもり)」と記してあります。その名を目にした時、幽かに覚えている平家物語の一節が蘇りました。熊谷直実は源氏のモノノフ、平敦盛は平家のうら若きプリンス。そして笛の名手。
沖の舟へと脱出を図る敦盛を直美はむんずと取り組み、兜をはぎとると、そこに現われたのはまだまだ幼いティーンエイジャーの顔。驚いて「あなたさまはどなたかな」と問いますと、敦盛は「名乗ることはない、首実検すれば分かること」と答えます。直実は哀れさを感じ、一瞬、逃がそうとしますが、背後にはもうそこに味方の軍勢。「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」と、あどけないプリンスに告げ、泣く泣くその首を切りました。
・・・ちゅうのが、その一節の要約です。いやーモノノフは大変やなーと思います。敵将を殺すことは、さながら現代におきましては営業マンのノルマみたいなものでしょう。70年代のヤクザ映画では、あなた様には何の恨みもございませんが、これも渡世の義理、死んでもらいます。・・・ちゅうセリフが流行ったと仄聞します。後々、熊谷直実は相続争いにも巻き込まれ、最終的に出家し仏門に帰依したらしいですが、そりゃそうなるわ。と、同情を禁じ得ません。
ところで、上記の敦盛と直実の物語、能(幸若舞)の曲目にも取り上げられ、あの織田信長が非常にこれを好み、桶狭間の戦いの直前に舞ったことで、有名でございます。
人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
一度生を享け 滅せぬものの あるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは 口惜しかりき次第ぞ
いやーホンマ、エエ文句やと思います。昔のモノノフの覚悟は、まことにまことに大したものでございます。
人間生きて50年。名の為に恥を許さず、従容と死に就く若武者もおりますれば、数百年後の現代では、60過ぎてなお、母親から毎月1500万円のお小遣いをもらい、姉さん女房に庇護されながら汲々と権力の座にしがみつくボンボン総理もおられます。
いやー今の総理大臣とは違い、昔のこの国のモノノフは、まことに立派であったとしか、云い様がございません・・・。
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