先週の木曜日、京都で営業中に小銭入れを無くしてしまいました。確か10円玉が4枚入っていた記憶がございます。
小銭入れは所謂、ガマ口で、いまどきガマ口を愛用している人間はほとんどいないと思いますが、いかにもカネを飲み込みそうなその姿を僕は愛していたので、滅茶苦茶がっかりしました。
くっそーと思い、帰りに自宅の近所のコンビニで酒を求めました。まことに救いがたい性格ですが、嫌なことがあったら、とにかく酒をかっ喰らって寝る。それが、成人以降の僕のライフスタイルなのでございます。
コンビニでは一番安い紙パック入りの焼酎を買うつもりでしたが、ふと、緑色のボディに黄色の帯を巻いたボトルが目に付きました。有名な韓国焼酎JINROです。「不思議の国のアリス」のワンシーンではありませんが、そのボトルが「わたしをお飲み」と訴えている風に見え、しばし迷った後、レジに持っていきました。
帰ってからさっそくそのJINROを水道水で割り、ガブ飲みしました。韓国焼酎は独特の薬臭さがありますが、その臭さがいつのまにか快感になる。喩えるならばキムチと同じで、(あるいはメイクラブを覚えたティーンと同じで)中毒になるのでございます。
やっぱこりゃ美味いわ。と杯をどんどん進めていくと突然、明日のフリー、キムヨナが勝つんとちゃうか?という思いが湧いてきました。こういう予感は大体当たるのです。キムヨナの演技は流麗で、前にも書きましたが、そのアクトは僕にはあのダイワスカーレットの走りとだぶるのです。
まー、僕も日本人ですので、金メダルは浅田選手であってほしい。キムヨナ嬢がダイワスカーレットなら、浅田真央嬢はウオッカ。素人目には、大技のキレと冴えは世界で唯一無二のように感じられます。
浅田真央選手が滑るその時間、スポンサーとのアポイントがございましたので、リアルタイムで観ることができませんでした。結果を知ったのは会社に戻ってからです。TVのインタビューで涙を拭う浅田選手を見て、僕も涙が出そうになりました。
然し同時に、このお嬢さんはホンマ、偉いなーとも思いました。当然のことながら、我々サラリーマンとは目指す世界が違う。スピリットが全然違う。日本人が(とりわけ政治家が)、とうの昔に置き忘れてしまった、崇高な目標に向かってつき進む姿勢が全く別次元であるように思え、その涙がとても尊く感じられたのです。
物凄いプレッシャーの中で、女子フィギュア史上、初めてのトリプルアクセルの大技を連続して成功させても、ミスを二つ犯してしまった。そんな自分がとても歯痒かったので流した涙のように見えました。
さて、あるフィギュアスケート番組で、キムヨナ選手が何度もトリプルアクセルに挑んでは失敗していたことを知り驚きました。結局、一度も成功せず、焦燥感に陥っていたとのことです。
そんな彼女に、名コーチの誉れ高きブライアン・オーサー氏は、トリプルアクセルはもうええ。要は審査員の評価や。オマエが完璧な演技をしたらそれでエエんや。・・・とアドバイスした模様です。
結果はその通りになりましたので、まー、素人目には今回の結果は、コーチの力量・才覚の差かなあと思えるのです。勿論、キムヨナ嬢の演技力が傑出していることは論を待ちませんが、選んだ曲もよかった。007とガーシュウイン。彼女のイメージに見事にぴったりであったように思えます。
ところで、男子フィギュアでライサチェクに及ばず銀メダルになったプルシェンコは、なかなかエエことを言っております。ライサチェクへのやっかみもあるかもしれませんが、
彼は素晴らしい選手だが、なぜ4回転ジャンプを跳ばなかったのか不思議に思う。五輪王者が4回転ジャンプの跳び方を知らないならば、男子シングルスでなくアイスダンスに競技名を変えなくてはならない・・・
プルシェンコのこの言葉、4回転ジャンプの部分をそのまま、女子シングルスのトリプルアクセルに置き換えることができるでしょう。
審査員の評価は、技より芸。そんなトレンドを察知し、熟慮・研究した陣営が、男子も女子も、ゴールドメダルを獲得することができた。ちゅうことでしょうか。
第2次大戦を勝利でフィニッシュし、意気揚揚と日本に進駐してきたアメリカ軍の将校達は、旧日本軍人のほとんどがクルマを運転できないことを知り、アンビリバブー!を連発したそうな。
クルマも運転できないジャップ共が、はるかに運転(操縦)が難しい飛行機を操ってカミカゼ・スイサイドアタックを敢行したり、パールハーバーを大空襲しやがったんか・・・と、その落差に唖然としたとのことです。
1000人のうち999人の日本人がクルマを運転できなかったその時代から、幾星霜。トヨタは今や販売台数世界一の超ガリバー企業になっております。まー身分不相応ながらプロレタリアートの僕ですら、かのトヨタの子会社製の、3年前はニホンで一番安かった軽自動車を所有しております。変われば変わるとは、このことでしょう。
さて、本日ワシントンで、エクセレント企業であったトヨタ自動車の大量リコール問題をめぐって開かれた米下院の公聴会では、販売子会社のレンツ社長に対し、議員達から「恥を知れ!」の大合唱が巻き起こったと伝えられております。
欠陥車に乗ったがために、たった一つしかない命を奪われかけたドライバーの怒りならごもっともですが、怒声を発する議員達には、自分達のお家芸である筈のクルマづくりで、あろうことか先輩をさしおき、世界のトップに立った外国企業への嫉妬とやっかみがビミョーに感じられます。(いや、これは僕だけの受け止め方かもしれませんが)
いや、もっと穿った目でみますと、トラスト・ミーなんてのたまいながら、全然その言葉の責任を取らない鳩山への不信、挙句は、政府間で合意していた筈の普天間基地問題の蒸し返し、さらには、中国(アメリカの仮想敵国)に媚び諂いまくるオザワの媚中外交等々、オバマをトップに戴くアメリカ人は今、ついこないだまで手下であった日本政府&日本人への恨みが、トヨタリコール問題を機に一挙に噴出している観がございます。
アメリカで公聴会がなされるのであれば、ニホンでも不手際があった外国企業の公聴会を開催してみたらどうでしょうか?(個人的には、トヨタ車よりもアメリカ製の車の方がかなりエエ加減に作ってあるような気がします)大体、アメリカ発のジャンクフードのお陰で日本人(いや世界中)の食生活はかなり乱れ、夥しい数にのぼるコドモ達の健康が損なわれているように思えます。ま、これは、公聴会とは直接関係ないかもしれませんが。
アメリカを中国人は美国と呼びます。確かにロッキー山脈やコロラドの大平原、その他の地域を見る限り、彼の地は美しい自然に恵まれております。
然し、それらを無残にもブチ壊してきたのは先住民であるインディアンではなく、メイフラワー号に乗ってやってきた、やたら物欲と性欲が旺盛なアングロサクソン達でございます。
ネイティブアメリカンの口伝を紐解けば、新大陸にやってきた新参者のアングロサクソン達は呆れたことに、本来の地主である先住民に対し、強姦・虐殺・その他、ありとあらゆる暴虐の限りを尽くし、性病を蔓延させ、貴重な食料資源であるバッファローを絶滅寸前まで追い込み、大地を掘り起こし地下資源を収奪し国土を荒廃せしめ、ぼんぼんアフリカから黒人を大量拉致し奴隷に貶め、安価な労働力としてこき使い、ホンマ、人道的にもエコロジー的にも、ロクなことをしでかしておりません。
そんなテメーらの所業はさておいて、恥を知れ!とは、ようゆうてくれますわ。
勿論、危ないクルマを作った責任は厳重に問われて然るべきでしょうが、今、オリンピックが開催されているバンクーバーも、もともとはイヌイットの土地。そして、カナダ人とアメリカ人は共に先住民を虐殺しまくってきた古~い戦友同士。トヨタ憎けりゃ日本人みな憎いとばかりに、浅田真央選手の採点までハンデがあるのでは・・・とは、考え過ぎでしょうか?
昨日は春節でしたか。中華圏では昨日から新年が始まった模様です。
新年を祝う気持ちからでしょうか、中国の友人・知人から年賀状やメールを少なからず戴きました。诸位 实在谢谢!この場を借りてお礼申し上げます。
さて、春節の「節」ちゅう言葉、僕は好きなのでございます。今や日本では、古代中国に端を発する季節分類の二十四節季なんて死語になってしまいました。(いや、競艇の世界ではまだ残っていたような記憶があります)
まー会社でも、個人の暮らしでも、「節」の区切りは大事かと存じます。ちなみに、今この時は「立春」がそろそろ終わり、「雨水」が始まる頃くらいらしいです。今日の大阪は雨。太古の賢人は見事に今この時を現わしているように思います。
外はまだ寒く、しかも雨の日となりますと、とかく陰々滅滅とした気分になりがちですが、暦の上ではもう春。春ともなれば如何に無粋なワタシでも、若干の風流心が芽生えてまいります。ここで久しぶりに漢詩を一つ。
墻角数枝梅
凌寒独自開
遥知不是雪
為有暗香来
上記は北宋時代の詩人、王安石の「梅花」と題した詩です。王安石の本職はなんと、政治家とのことです。政治家でありながらアーティストとは、鳩山ミユキさんがそうか。いや違うか。とにかく日本では、政治家と不動産屋の兼務は珍しくはありませんが、アーティストとの二足のワラジは珍しい。
一方、お隣の中国では、あの毛沢東や、レッドクリフの曹操を始めとして、詩人と政治家の兼務はけっこうおられます。有名な李白や杜甫も下っ端の官僚であった訳で、中国では、この官芸合体のパターンが別に不自然ではないようです。
閑話休題。先日、某週刊誌に、
鳩山はマザコン、小沢はゼネコン。
・・・なる言葉を発見しました。実に的確に二人の本質を現わしている!と感心しました。その見事なキャッチコピーを著されたライターは、上記の王安石に迫る才能の持ち主かとお見受けします。
羨ましいことに、この世に生を享けてから(多分)一度もゼニの心配をしないで、すくすくと成長された二人のセンセイは、当然のことながら、ほんのひとかけらも、明日の生活に怯えるデリケートな庶民の気持ちなんて持ち合わせていないのでしょうなあ。
先日、日本人向けの中国サイトに、“日中歴史共同研究に中国政府が苛立ち”ちゅう記事を発見し、声を挙げて笑ってしまいました。
その記事によりますと、中国側は、中国の現代史と天安門事件については研究の必要なし。(俗称)南京事件の被害者数は30万人以上。の二つを二国間のコンセンサスとして日本側に要求した模様ですが、日本側が、それはちょっと呑めまへんな。と断ったところ、中国側は激怒なされたとのことでした。
また、(あれは毎日jpでしたか)先月末に、上記の日中歴史共同研究について報道したNHKの海外向け放送の画面が真っ黒になり、数秒にわたって視聴できなくなったアクシデントがあった模様です。どうやら番組の中に、中国側が「公表したらアカンで」と念を押していた“戦後史”に関連する天安門事件(89年)の映像があったようで、なんでアカンゆうてるのに放送すんねん!と、中国政府は非常にお怒りのご様子です。
そもそも、国や個人の歴史は、あくまでも国や個人のものでしょう。
真実はいつも一つ。とは、名探偵コナンの台詞であったと記憶しますが、それは刑事事件の話であって、じゃあ中国人と、チベット人あるいはウイグル人の歴史は同じで、共有すべきで、ただ一つなのか?
異なった二つの国が異なった歴史観を有するのは当然かと思います。それを(国民の税金を使って)強引に一つの結論を公式化するとは、なんちゅう愚かかつ、アホな行為かと思います。
また、東アジア統一歴史教科書を作ろう。ちゅうアホな意見も耳にします。
発案者は “拉致はでっち上げ”をえんえんと訴えておられた(朝鮮労働党と友党であった)某党のセンセイ方とのことです。
まさか教科書の中で、拉致はやっぱしでっちあげ。とか、あるいは、金正日を「人類の輝ける太陽」と祭り上げ、その“主体思想”とやらを普及・啓蒙したい訳ではないでしょうが、不気味なことに政府与党である民主党のセンセイ方も、その意見に賛同なされる傾向がお有りとのことで、迂愚な僕は戸惑うばかりでございます。
そんなに共同研究や統一テキストを作りたいのであれば、いっそ、「オザワイチローの不動産投資術」について、共同研究してみるのはどうか?
それこそ、日中のみならず、世界中の検察と収賄と汚職と投資と不動産の専門家をぜーんぶ集めて「共同研究」し、精査し、その結果をドキュメントにする必要が、大いにあるかと存じます。
まー、歴史教科書の理想的な姿は、営業マンのエクセルを使った売上予定表とか行動予定表みたいに、時系列順に、複数の国家の歴史を同時表記してみるのが一番エエように思います。今年は韓国併合100年目。とのことですが、当然、韓国側は、その教科書に支配と搾取、民族の悲劇等々の文字を並べるでしょう。(既に韓国サイトには、そういう表現がてんこ盛りです)
一方、日本側の歴史ライターが、それこそ、中国共産党的な文章表現を好むのであれば、併合を「解放」と書き換えるかもしれません。
あっ、アイツらあんなこと書きやがってと、ブチ切れになる韓国の方が続出するでしょうが、同時表記することにより、それぞれの国の「事実と解釈された出来事」が一目瞭然化され、非常に分かりやすい歴史教科書になることと思います。
このところ、孤独死や無縁仏の特集をテレビや新聞でよく見かけます。
また、引き取り手の無い遺骨も、全国で何万柱も存在するとのことで、これはまさに、未婚・非婚時代を象徴するかのような出来事とのことでございます。
孤独死は格差社会の象徴みたいに安易に片づける報道もございます。然し僕は、孤独死は孤独な死か?とも思うのです。孤独死なんて名前が安直過ぎる。ネガティブ過ぎるように思います。
極端な引用かもしれませんが、東洋では、ちゅうよりもインドでは、人間は老いると林住期から遊行期へ移行し、どんなに世俗的に成功を収めた人でも、最後は托鉢をしながら密林の中で人知れず最後の時を迎えるのが、人間としてもっとも尊敬されるエンディングとのことです。
実は、もう四十九日が過ぎたからこんなことを書けるのですが、昨年末、非常に近しかった人を末期癌で亡くし、その方が亡くなられる3カ月前からだんだん衰弱していき、意識も消滅していく過程を、介護しながらつぶさに見ておりました。それで、ちょっと死に対する考え方が変わったのでございます。
誰でもそうですが、死ぬのは怖い。出来れば、避けたい。でも当然のことながらそれは避けられない。どうせ死ぬのなら勿論、苦しんで死にたくはない。
運よく病院で死を迎えられた方は、死の苦しみをそれほど味わわなくて済むようですが、それでも、死ぬ時期は遠ければ遠いほどいい。
去年亡くなった方は、最後の1週間ほどはナースセンターに一番近い部屋に入れられまして、いつでもドクターや看護士さんが飛んで行けるように、ドアは開けっ放しの状態でした。よく見ると、その隣の病室もそのまた隣の病室もほとんど似たような患者さんが入っておられる模様で、たまたま部屋の様子が目に入りますと、どの方も私の近しい人と同じ状態で、意識があるようには見えず、目を開けていても何も見ていない感じでございました。
結局みんな、遅かれ早かれやな。と思いました。
僕も、後30年生きれるか?と云えば、それは自信が無い。不起訴が決定し、今や検察への報復プランをワクワクしながら練っているであろうオザワ氏にしても、肉体的に元気であるのは後、数年でしょう。ハトヤマ氏にしてもそれは同じ。韓国紙の報道では、遂に金正日の生体反応が無くなったらしいとのことですが、大悪人であれ、善人であれ、遅かれ早かれ皆、死んでしまう。
釈迦は、人生に意味なんかあるか。どアホ!と説いた(どアホとはおっしゃられてませんが)らしいですが、近しい人に死なれてみると、なんとなくその言葉がリアルに伝わってまいります。
火葬場で焼けた骨を見たのも、何十年かぶりでした。火葬なんて実に怖ろしい行為に思えます。(僕は日本人でありながらコドモの頃から、火葬した骨をみんなよく平気でハシで拾えるなあと驚いてました)死体は暗い不気味な無機質の洞窟に入れられ、強力なバーナーで焼かれる訳です。もし、死体がホンマは生きてたらどうなるんや?と思います。ジブンが死んだら土葬か鳥葬にして欲しいと切に願います。
驚いたことに、人の脳は、他の部分と違って、完全に灰にはならないみたいでした。頭蓋骨とおぼしき部分に黒いゴムみたいなのが付着してましたので、これは脳ミソですか?と係の人におそるおそる伺うと、そうです。頭蓋骨は偉いですね。中のものをよく守ってくれるんですね。と平然と答えられましたので、また、びびってきたのでございました。
然し、骨や灰やその元脳ミソであったものを見ておりますと、なんのかんのいっても、最後はこれか。・・・と、不思議な達観が湧いてきたのも事実でございます。
さて、亡くなられた方は、競馬歴が実に半世紀強の、それは素晴らしい方でした。その方との最後の会話は、・・・ジャパンカップ、ウオッカがハナ差で勝ちましたよ!という僕の報告に、ほとんど意識不明ながら、・・・ウン。という返事でした。その前の日、かすれるような声で、明日、多分、ウオッカ勝ちよるで。と、僕は単勝馬券を託されていたのです。(もっとも、僕はウオッカは負けると予想してました)
閑話休題。
輪廻転生を僕はよく考えます。
袖触れ合うも他生の縁。その方は、この次、いったいどういう風にこの世に現れるのか?と、たびたび思うのでございます。








