3月19日放送から [番組スタッフから]
2010/03/19(金) 11:00 番組営業担当K

今月は「関西の若者文化をめぐって」をテーマにお送りしております。
今回はその3回目、「昭和50年代をめぐって(サブカルチャーの分立)」と題して、難波功士さんにお話いただいています。

前回は昭和40年代について解説いただきました。

関西の若者たちの文化的活動は、1960年代は社会改良的・社会変革的な目的からスタートし、反体制的なムーブメントとして展開されてきたものが、1970年代には徐々に社会に対抗するカウンターカルチャーとしての色彩から「若者たちだけの内輪の楽しみ=内輪の文化」への意味合いへと変化しき、やがて「サブカルチャー」「サブカル」ということばの文化へと変化していきます。

「『熱気』から『陽気』な文化」へ変化したともおっしゃっています。
今回はとくにファッション・雑誌・演劇などについてご紹介いただきます。


とくに
・「ニュートラ」と『anan』『JJ』などのファッション誌
・関西独自の出版の動き
についてお話いただいております。


「ニュートラ」とは「ニュートラッド」の略で、「ニュー」と「トラディショナル」という2つの反意語が組み合わさった言葉で、フォークやロックなどを愛好するミュージシャンのカジュアルなファッションに対して、「コンサバティブだけど上の世代のコンサバティブとは違う」という意味でニュートラといわれていたそうです。
その普及の中心には『JJ』『anan』など、当時テイストごとにファッション誌が細分化されていなかった時代の各誌が特集をしていたそうです。
その両誌も1970年代中盤から1980年代にかけて、取り上げるファッションの対象が少しずつ変遷していきました。

関西独自の出版の動きでは、『プレイガイドジャーナル』(プガジャ)『京阪神Lマガジン』といった「タウン情報誌の草分け的存在」についてもお話いただきました。

とくに『プレイガイドジャーナル』は情報誌の発行だけでなく、映画制作や演劇分野などのムーブメントもおこしたそうです。雑誌を基点として、のちに当時活躍していた、またその後活躍する多くの俳優や執筆陣を輩出する存在を抱えていたというのは、マスコミの大きな影響力を感じさせるエピソードです。
詳しくはぜひ番組をお聴きいただきたいと思います。

その後、関西に限らず「ローカルの独自色」「ローカル発のムーブメント」というものがなぜ薄くなりつつあるという考察を述べられています。
では昭和50年代から現在に至るまで、本当に薄くなってきているのか、なぜ薄くなってしまうようになったのか、またこの間どのようなムーブメントがあったのかについては、次回解説いただきます。

今回も番組で出てきた文化事象のワードを羅列してみます。
このくらいの年代になると昭和50年生まれの私でも知っている単語が多くなってきます(笑)。


「私生活至上主義」「シラケムード」「ニュートラ・ニュートラッド」「○金・○ビ」「『金魂巻の謎』」「『JJ』」「『anan』」「『なんとなくクリスタル』」「クリスタル族」「アメリカ村」「DCブランド」「からす族」「『プレイガイドジャーナル』(『プガジャ』)」「『京阪神Lマガジン』」「『ガキ帝国』」「オレンジルーム(HEP FIVE・阪急ファイブ)」「オレンジ・フィルムボックス」「近鉄劇場」「南海ホール」「バナナホール」「小劇場劇団」「劇団そとばこまち」「劇団☆新感線」「南河内万歳一座」「いしいひさいちさん」「村上春樹さん」「中島らもさん」「『JJbis』」


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