3月5日放送から [番組スタッフから]
2010/03/05(金) 12:30 番組営業担当K

今月は「関西の若者文化をめぐって」と題して、関西学院大学社会学部教授の難波功士さんにお話いただきます。4回にわたり
①昭和30年代をめぐって(大衆文化の広がり)
②昭和40年代をめぐって(カウンターカルチャーのうねり)
③昭和50年代をめぐって(サブカルチャーの分立)
④平成以降をめぐって(主流文化への回収)

についてお話いただきます。今回はその1回目、「昭和30年代をめぐって(大衆文化の広がり)」です。

戦後から1950年代までという時期は、戦後復興のなかで、若者たちが新たな文化の担い手として台頭してきた様子、とくに関西をフィールドとした若者文化についての考察ですが、このころは「若者」ということばよりも「青年」「青少年」「青壮年」ということばの方が主流だったとのことです(私はこれらの言葉の違いをいままで意識したことがとくにありませんでしたが(笑))。


当時の青年の背景としては高校進学率もまだ低い時代で、「勤労青年」「『青年』ということばには『労働』『生産』というニュアンスを帯びる」「『青年』ということばに『消費』『レジャー』というニュアンスが出るのは60年代」)という背景があったそうです。


今回の番組ではとくに
①京都大学の学生を中心とした「雑誌『平凡』の読者との文通の運動」
②大阪労音(発足当初の名称は「関西勤労者音楽協議会」)

についてご紹介いただきました。
共通するキーワードは『溝』。同じ年齢が若いという意味で「若者」という世代の中に、そこには「階層」「学歴」「職業」「ジェンダー」「地域」などの『溝』が存在していたということでした。

①の文通の例では、「インテリ」対「労働者」「(インテリ側から見た)ミーハー(と呼ばれた読者の人々)」、②の労音の例では「よい音楽や文化を勧める側」と「(労働者を中心とした)よい音楽や文化を勧められる側」(「導く側」と「導かれる側」)など、両者には『溝』があったとのお話でした。

今回難波さんがおっしゃっていた単語の中でも、名前だけ走っているというものがたくさんできました。例えば「労音」については、今でもコンサートなどでたまに利用したりしています。「劇画」についても、こんなルーツがあったとははじめて知りました。

次回、1960年代についてお話いただきます。若者文化の意義や目的が変わっていくこと、また、関西独自の展開などについてもお話いただきます。


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