今月は「関西の若者文化をめぐって」をテーマにお送りしております。
今回はその3回目、「昭和50年代をめぐって(サブカルチャーの分立)」と題して、難波功士さんにお話いただいています。
前回は昭和40年代について解説いただきました。
関西の若者たちの文化的活動は、1960年代は社会改良的・社会変革的な目的からスタートし、反体制的なムーブメントとして展開されてきたものが、1970年代には徐々に社会に対抗するカウンターカルチャーとしての色彩から「若者たちだけの内輪の楽しみ=内輪の文化」への意味合いへと変化しき、やがて「サブカルチャー」「サブカル」ということばの文化へと変化していきます。
「『熱気』から『陽気』な文化」へ変化したともおっしゃっています。
今回はとくにファッション・雑誌・演劇などについてご紹介いただきます。
今月は「関西の若者文化をめぐって」と題して、関西学院大学社会学部教授の難波功士さんにお話いただきます。4回にわたり
①昭和30年代をめぐって(大衆文化の広がり)
②昭和40年代をめぐって(カウンターカルチャーのうねり)
③昭和50年代をめぐって(サブカルチャーの分立)
④平成以降をめぐって(主流文化への回収)
についてお話いただきます。今回はその1回目、「昭和30年代をめぐって(大衆文化の広がり)」です。
戦後から1950年代までという時期は、戦後復興のなかで、若者たちが新たな文化の担い手として台頭してきた様子、とくに関西をフィールドとした若者文化についての考察ですが、このころは「若者」ということばよりも「青年」「青少年」「青壮年」ということばの方が主流だったとのことです(私はこれらの言葉の違いをいままで意識したことがとくにありませんでしたが(笑))。
2010年3月の出演は
関西学院大学社会学部教授の難波功士さんです。
テーマは「関西の若者文化をめぐって」です。
マスメディア産業の中心は東京であり、多くの流行は中央から地方へと波及していくものと思われがちです。しかしかつて関西が独自の若者文化の震源地であった時代も存在します。マンガ、音楽、ファッション、お笑いなど、新たなムーヴメントをつくりだしてきた関西の若者たちの軌跡を追うことで、ローカルな文化とナショナルな文化の関係について考えていきます。
昭和30年代から現在に至るまで、関西発の文化、流行、ファッション、ラジオ・テレビ番組・・・etc
なつかしいものから最新のものまで、数々の流行・現象の名称が続々と出てまいります。どうぞお楽しみに!