【お詫び】11月27日 Podcast配信番組における一部誤配信について [番組スタッフから]
2009.11/27 番組営業担当K 記事URL

本日15時00分から15時10分頃にかけてPodcast向けに配信いたしました「11月27日番組」において、一部誤って過去の番組が配信されてしまいました。
心よりお詫び申し上げます。

現在は正規の番組が配信されております。

上記時間に番組をダウンロードしていただいた方には、あらためて正規の番組を配信させていただきました。大変お手数ではございますが、いま一度ダウンロードし直してお聴きいただけますようお願い申し上げます。


11月27日の放送から [番組スタッフから]
2009.11/27 番組制作スタッフD 記事URL

今日は「中世武士列伝」の4回目、「リアリストとしての高師直」です。高師直、これまた歴史に詳しいひとでないと、中々知らない名前ではないでしょうか。そもそも読み方から難しい。「こうの もろなお」と読むそうです。

その高師直、太平記によるととんでもない悪逆というか、評判の悪い人のようです。まず、摂関家の姫君をさらったり、人妻に手を伸ばそうとしたり、他人のものを盗むというが師直にとってはあたりまえのことだったようです。

他にも、自分の家来が恩賞の不満を訴えると「近くにお寺や神社の所領があるなら、境界線を越えて横取りしてしまえ」と命じたということで、通常の感覚だと彼の考えは理解できませんよね。そういう一般常識でははかりしれない彼の言動・思考ですが、こういう彼のような古い価値に縛られず、大胆不敵で派手好みの武士のことを、当時、バラサと呼んでいたそうです。

このバラサ大名は、寺や神社に放火することも厭わない、荒っぽい人種の人たちのようで、他にも佐々木道誉なども延暦寺の門跡寺院の妙法院を焼き討ちしています。師直も、清水八幡宮や吉野の蔵王権現を焼き払ったと、太平記には書かれています。

しかし、これは八幡宮という足利尊氏にとって非常に大切な神様を焼き払うということで、勝つためには手段を選ばない、高師直が究極のリアリストだったことを実感させることではないかといわれています。

このように、一見ただの極悪非道に見えることでも、その裏には違った彼の側面が隠れていることがあり、歴史上の人物や出来事というのは、どういう角度から見るかによて、その表れ方が違ってくるということのようです。その辺り、番組でじっくりお聞きください。



クリスマス on キャンパス! [番組スタッフから]
2009.11/25 番組営業担当I 記事URL

街中ではイルミネーション、デコレーションが華やかな季節になりました。写真は東京の渋谷でみたデコレーションです!

さて、11月29日(日)よりキリスト教の暦ではアドベント(待降節)に入ります。
アドベントとは、クリスマスを迎えるための準備期間。

関西学院のクリスマス行事は今年も多彩に行われます。

学内関係者だけでなく、一般の方が参加できる行事もありますのでお近くの方はぜひ!。
素敵な写真も見られる行事の詳細はこちら


11月20日の放送から [番組スタッフから]
2009.11/20 番組制作スタッフD 記事URL

今日は「中世武士列伝」の3回目、「ヒューマニストとしての足利尊氏」です。

足利尊氏、この人も歴史の教科書で名前を見たぐらいしか記憶にないのですが、室町幕府で最初の征夷大将軍なったというのはご存知の方も多いでしょう。しかしながら、あまり評判はよくなかったようです。

尊氏は後醍醐天皇に味方して、鎌倉幕府を倒すのに功績があったのですが、その後謀反を起こして、天皇の地位を奪い、室町幕府を開くことになります。したがって、逆賊と言われていた時期があったようです。

しかし、それは南朝と北朝のどちらを正統と見るかによって変わってきます。室町時代においては、ずっと北朝が正統と考えられていたので、尊氏は朝廷を支えた忠義の臣下ということになります。ところが、江戸時代になると、「大日本史」が後醍醐天皇の南朝を正統な朝廷と認めたので、楠木正成は忠義の武士となったのに対し、足利は逆賊扱いを受けるようになったようです。

その後も後醍醐天皇びいきの傾向は強かったようで、南北朝時代というのはとてもデリケートな問題をはらんだ時代といわれています

そんな南北朝時代の足利尊氏。実際はどんな人物だったのでしょうか。今回も、さまざま文献から彼の人柄について探っていきます。あまり知られてない尊氏の人間性について、じっくりとお聞きください。



11月13日の放送から [番組スタッフから]
2009.11/13 番組制作スタッフD 記事URL

今日は「中世武士列伝」の2回目「北条泰時のストイシズム」です。

北条泰時というと、歴史好きの方でないとどんな人だったのかなあと思ってしまう方も多いことでしょう。と言っても「御成敗式目」を定めた人というと、歴史の教科書で名前ぐらいは見たという気がするのではないでしょうか。

他にどんなことをしたかというと、承久の乱で後鳥羽上皇配下の軍勢を打ち破って京都に攻め込んだ幕府の大将を務めていました。ですから、その結果、後鳥羽上皇を隠岐に島流しをしてしまうという前回の平清盛よりも悪行をしたということになります。

しかし、泰時の場合は清盛と違ってどの文献を見てもすばらしい人だったと賞賛されているそうです。中でも「明恵上人伝記」とか「太平記」では、飢饉が起きたときには、自分の財産を投げ打って、人々の借金を肩代わりしたということが書かれているようです。

ですから、彼はとても質素な暮らしをしていて、烏帽子や着物は修繕しながら、ずっと同じものを身に着けていたり、夜は明かりをつけない、昼は一食減らすといった鎌倉幕府の実力者とは思えないような極端に地味な暮らしぶりだったと書かれているそうです。

そんなクリーンなイメージの泰時ですが、「承久記」では、彼の武人としての姿が書かれています。生真面目な性格だけが取り柄のように思われている泰時ですが、実は武士の熱い血が流れているということを窺い知ることができそうです。その辺り、番組でじっくりとお聞きください。



11月6日の放送から [番組スタッフから]
2009.11/06 番組制作スタッフD 記事URL

今月は4回にわたり「中世武士列伝」というテーマで、関西学院大学文学部の北村昌幸さんにお話しいただきます。特に今回は、古典作品から見る中世武士たちの足跡ということで、変革の時代を生き抜いた武士たちの伝記の中には、現代社会に生きる私たちにも学ぶべきものが多くあったのではないでしょうか。

さて、その1回目の今日は「平清盛のリーダーシップ」と題して、平清盛の実像に迫ります。清盛というと、平家に逆らった者を容赦なく処刑したり、後白河法皇の身柄を拘束して離宮に押し込めたりという数々の悪行を繰り返しているというイメージではないでしょうか。「平家物語」や「祇園精舎」の「奢れるもの久しからず」というのが清盛を表していると思われるのも当然でしょう。

しかしながら、「平家物語」というものは、決して事実を客観的な立場で描いているわけではないそうです。「平家物語」は、昔ながらの勢力、視点や価値観に寄り添っているところがあるそうで、この作品が世に出た鎌倉時代前期はそういう時代だったとのこと。もしも同じことを戦国時代にやったとしたら、極悪非道ではなく、革命の英雄になっていたかもしれないとも言われています。従って、平家物語の清盛像は、ことさら清盛の悪行を強調したという可能性はあるようです。

その一方、清盛の別の側面を伝えた物語もあります。鎌倉時代に書かれた「十訓抄」や「保元物語」「平治物語」では、家来たちには非常にやさしく思いやるのある人だったことや、大人の思慮分別のある落ち着いた感じのする理想的な武将像が描かれています。

軍記物語というジャンルは、一旦出来上がったあとで記事を付け足したり、書き換えたりする作業が行われるそうで、平治物語では、理想的な武将としての清盛像がだんだんと崩れていったのではないかといわれています。

「平家物語」の「奢れる人」の清盛像は、他の作品にも影響を及ぼしながら、長く主流として受け継がれてきたようです。それだけ「平家物語」というのは、力を持った作品だったと言えるのでしょう。

では、その辺りのことは、番組でじっくりとお聞きください。



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